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人生朝露

人生朝露

荘子とビートルズ その2。

荘子です。
荘子です。

参照:老荘思想とビートルズ。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5036

荘子とビートルズ。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5034

ビートルズと荘子の続き。

まず、
All You Need Is Love(1967)。
“All You Need Is Love(愛こそはすべて)(1967)”と荘子について。

“All You Need Is Love”は、1967年に世界で初めて衛生中継されたテレビ番組『OUR WORLD~われらの世界~』でビートルズがイギリス代表として発表した曲です。後々のジョン・レノンの楽曲にも通じるメッセージ性の強いものですが、まぁ能書きはおいといて、

こちらをご覧下さい↓

参照:The Beatles - All You Need is Love (HQ)
http://www.youtube.com/watch?v=r4p8qxGbpOk

“Our world(1967)”より「All You Need is Love」。
・・・上のセットに、白とピンクの不思議な物体がぶら下がっておるでしょ?開始後1:00くらいには、はっきり見えます。対極図というよりは陰陽魚と言った方が良さそうなものが。とかなんとかいって、私も、先週気づいたんですけどね(笑)。ジョン・レノンの書く歌詞というのは非常に特殊で、通常読めるはずのない言葉が並んでいたり、文法を敢えて無視していたりするものなんですが、“All You Need Is Love(愛こそはすべて)”も分かりにくい。

“There's nothing you can do that can't be done.
Nothing you can sing that can't be sung.
Nothing you can say but you can learn how to play the game. It's easy.”
(できないことをしようとしても無意味だよ/歌えない歌を歌おうとしても無意味だよ/声に出して言えるは何もない。ただ、どうゲームを楽しむかを知ることはできる。簡単さ。)

「愛」という言葉何度も出ているのでポジティブな歌かと思うと、拍子抜けするくらいの歌詞なんですよ。

“There's nothing you can know that isn't known.
Nothing you can see that isn't shown.
Nowhere you can be that isn't where you're meant to be.
It's easy.
(知らないことを知ることができても無意味だよ/示さないこと見ることができても無意味だよ/あるべきだと思えないのに、居続けられる場所なんてないよ。簡単さ。)

これって、老荘思想ですよね。「無為にして自然」ですよね?

Zhuangzi
無始曰「道不可聞、聞而非也。道不可見、見而非也。道不可言、言而非也。知形形之不形乎?道不當名。」(「荘子」知北遊 第二十二)
→「道とは耳で聞くことのできないもので、聞いてしまったものはすでに道ではない。道は目で見ることのできないもので、見てしまったものはすでに道ではない。道はまた、言葉に言い表すことのできないもので、言葉に表してしまうとすでにそれは道ではない。万物に形を与えながらそれ自身は形のないものをどう知覚できるのか?道に当たる名前などない。」

『學者、學其所不能學也。行者、行其所不能行也。辯者、辯其所不能辯也。知止乎其所不能知、至矣。若有不即是者、天鈞敗之。』(『荘子』 庚桑楚 第二十三)
→学者とは、学び得ない事を学ぼうとする者である。行者とは、行い得ない事を行おうとする者である。弁者とは弁じ得ない事を弁じようとする者である。知の至り得ない領域を知る者は至れり。それをなし得ない者は天の理からあぶれる。

この“All You Need Is Love(愛こそはすべて)”は二重否定をよく使っていまして、中国の古典の表現に近いです。

例えば、
Confucius (551 BC ~ 479 BC)
『子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人。(『論語』衛霊公)
→子貢が孔子に尋ねた「先生、一生守るべき行いを一言で言うと何でしょう。」孔子はこうおっしゃった「それは恕であることか。自分がされたくないことを、他人にするものではない。」

「己の欲せざる所、人に施す勿れ」という有名な孔子の言葉ですが、これも二重否定ですね。これは、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(『マタイによる福音書』7章12節)という聖書の記述と似ています。この一致についての指摘は、中国へ渡った宣教師マテオ・リッチ(Matteo Ricci 1552~1610)が「孔子の言葉に我々の愛の第二の教えがある」なんて言い出したのが始まりだと思われます。ただし、『論語』では『聖書』と同じものを指しているようでいて差があります。ジョン・レノンの歌詞は愛という言葉にしても、アプローチが東洋的です。というか、中国的なんですよ。明らかに“Love”よりも“Tao”の方が読める歌詞ですから(笑)。

次、ポール・マッカートニーの
“Hello, Goodbye/I Am the Walrus(1967)”。
“Hello, Goodbye”です。

参照:The Beatles Hello Goodbye (Remastered)
http://www.youtube.com/watch?v=HBZ8ulc5NTg

“You say Yes, I say No / You say Stop and I say Go, go, go.”
“I say high, you say low / You say why and I say I don't know, oh no / You say goodbye and I say hello”

太極図です。
・・・ここにも「Yes」と「No」の対比があります。

参照:心理と物理の“対立する対”。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5094

Zhuangzi
『是亦彼也、彼亦是也、彼亦一是非、此亦一是非、果且有彼是乎哉、果且無彼是乎哉、彼是莫得其偶、謂之道枢、枢始得其環中、以応無窮、是亦一無窮、非亦一無窮也」(『荘子』斉物論 第二)
→彼もまた是であり、是もまた彼である。彼に一是非、是に一是非ある。果たして、是と彼に絶対的な区別など可能なのであろうか?是と彼を遇することのできない極限ものを「道枢」という(枢とは、扉の回転の真ん中にある一本の柱のこと)。その環の中にあって、初めて無限の世界に応じることができる。是もまた一無窮、非もまた一無窮。

『網兩問景曰。「曩子行、今子止、曩子坐、今子起。何其無特操與?」景曰「吾有待而然者邪。吾所待又有待而然者邪。吾待蛇付蜩翼邪。惡識所以然。惡識所以不然。』『荘子』斉物論 第二)」
→モウリョウは影に向って問うた。「おまえは、動いたかと思えば止まり、座ったかと思えば起き上がっている。なんでそんなに節操がないんだ?」影は応えた。「俺は何かにそうさせられているのさ。その何かもまた何かにそうさせられているのさ。俺は蛇であれば鱗、蝉で言えば羽みたいなものなのかもな。どうしてそうなっているのか、どうしてそうならないのかも分かっていないんだ。」

参照:聖徳太子と荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5004

湯川秀樹(1907~1981)。
≪ギリシャ思想には様々なものがありますが、今日われわれが近代科学と呼ばれるものを通じて、あるいはまたキリスト教、それから近代思想と呼ばれているもの等を通じて知っているところの西洋思想の特徴をみると、何か法的秩序をたっとぶ、あるいは論理をたっとぶという点が目立っています。それに伴って肯定・否定がはっきりしている。言葉自体が大体そうです。西洋の言葉は肯定・否定がはっきりしている。その中間というものは、できるだけ排除しようとする。それによって合理性が確立されると考えるわけであります。(中略)今日まで東洋的なものの考え方は非論理的であるとかなんとかそういうことばかりいわれてきて、科学の発達の障害になる、というふうな意見が多かったのでありますが、わたくし自身は、必ずしもそうではないと、前から思っており、近頃ますます強くそう思うようになりました。(中略)つまり学問が画期的に進歩するためにはそれまで絶対に正しいと思われてきた考え方を捨てる必要が、今までも一度ならずもありました。上に述べた量子力学では不確定原理というものがある。もっと広くいえば、そこには確率という概念が入ってきているのです。それらは日本人には割合、受け入れやすい。西洋人にはなかなかむつかしい。確率とか不確定とかいうことが入ってくると、イエスかノーかと簡単に言えなくなる。イエスである確率はいくら、ノーである確率はいくら、というのは西洋人にとってはややこしいことなのです。のみこみにくい。ところがわれわれにとってはそんなことはなんでもない。本来曖昧模糊たる表現になれている。西洋の学者でハイゼンベルクなども、日本人には割合楽に量子力学が理解されるらしいが、なるほど東洋人だからやさしいのかもしれない、といっております。これはある程度あたっていると思います。(一九六四年六月)湯川秀樹著「父から聞いた中国の話」より≫

参照:量子力学と荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5057

・・・ちなみに、
キ kui warlus
湯川さんも読んでいた『山海経』にも絵入りで登場する一本足の妖怪「キ(中国語読みはkui)」は、中国の古い神話の生き物です。『荘子』秋水篇でも描かれています。

参照:湯川秀樹と『山海経』。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5119

英語版の『荘子』ではこの生物を“walrus”と訳しています。この“walrus”は、中国の神話の世界で音楽を司ります。若者たちに音楽を教え、彼が楽器をかき鳴らすと百獣が踊り出したそうです。『韓非子』には孔子の言葉として「落ち着きがなくて反抗的」「唯一のとりえは音楽だけ」。また『呂氏春秋』には「この者はその才で天下を平らげたが、walrusは一人でよい」などの記述が残っています。

参照:キ (中国神話)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E8%A9%B1)

参照:The Beatles I Am The Walrus (2009 Stereo Remaster)
http://www.youtube.com/watch?v=RG73Pk1yUj8&feature=related

今日はこの辺で。


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